2009年07月04日

東北帝国大学本部が仙台市に設置され

1907年(明治40年)6月、東北帝国大学本部が仙台市に設置され、同年9月に札幌農学校が東北帝国大学農科大学(札幌区)に昇格した。1911年1月には、東北帝国大学理科大学(仙台市)が新設され、九州帝国大学本部の設置および九州帝国大学工科大学の新設がなされた(両者とも福岡市)。同年4月には、京都帝国大学福岡医科大学が移管されて九州帝国大学医科大学となった。これらの大学設置には、地元からの寄付金等も用いられたが、1907年度から5年間で約106万円に上った古河財閥の寄付金が用いられた(内訳は建築費が987,739円、事務費用69,137円)。古河財閥からの校舎建設資金は、東北帝大分が、農科大学135,519円、理科大学244,170円、九州帝大分が工科大学608,050円であった[1]。
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1911年(明治44年)、三度目の「北海道帝国大学設立建議案」が議会で採択されたが、政府は消極的だった。しかし、第一次世界大戦による好況(1915-18年)に入ると風向きが変わり、大学令公布に伴う各帝国大学の分科大学制から学部制への改組に先立って、1918年(大正7年)4月、札幌区所在の東北帝国大学農科大学を東北帝大から分離して北海道帝国大学が設立された。同年、原敬内閣の下、「高等諸学校創設及拡張計画」が帝国議会で可決され、東京帝国大学・京都帝国大学に各々経済学部が、東北帝国大学・九州帝国大学には各々法文学部が設置された。

帝国議会と政府との関係、資金面の問題、校舎建設の問題、前身となる高等教育機関と新設各帝国大学との関係から、この時期の帝国大学の設立経緯は複雑であり、原敬と同じ盛岡藩出身で藩校作人館修文所で同級生だった佐藤昌介(札幌農学校最後の校長、東北帝国大学農科大学初代学長、北海道帝国大学初代総長)も関係している[1]。また、この時期設立の帝大は全て地方名が大学名として採用され、その他の帝大が都市名を冠しているのとは対照的となっている。

2009年06月14日

潤滑(じゅんかつ)とは、互いにすべり

潤滑(じゅんかつ)とは、互いにすべり運動している物体間に、オイルや固体潤滑剤などを供給して、摩擦力や摩耗を低減させる方法をいう。

物体が互いに接触して、相互運動している状態を摩擦と呼ぶ。回転や運動する機械類は、たくさんの部位で摩擦が起こっており、摩擦による悪影響を低減するために適切な潤滑が必要である。 摩擦面の潤滑状況は下記のように分類される。

乾燥摩擦:潤滑剤がなく二つの固体表面が直接接触して運動している状態。金属機器でこの状態になると金属同士のミクロな凝着が生起し、激しい磨耗やトラブルの原因となる。
境界摩擦:物体の表面に吸着した潤滑成分分子により表面が一応保護されている状態。機械の起動・停止時にはこの状態になる。
流体摩擦:潤滑剤(液体)により相対運動する物体が完全に隔てられる状態。この状態での摩擦抵抗は液体の粘性抵抗に一致する。
流体摩擦と境界摩擦の中間段階である混合潤滑
技術論的には、これらの状態を説明するものとしてストライベック曲線という縦軸に摩擦係数、横軸にゾンマーフェルト数という「粘度×速度÷荷重」の次元を持つパラメータを用いた図が知られている。

それぞれの摩擦係数は、境界摩擦において>0.1程度、混合摩擦において0.1?0.01、流体摩擦において<0.01程度となることが知られている。ストライベック曲線の横軸の大きいほうでは、流体潤滑状態での摩擦係数が次第に大きくなっていくが、これは流体のせん断抵抗が大きくなるためである。

適切な潤滑を施すことによって、摩擦部分の寿命延長、エネルギーロスの削減が可能となる。潤滑剤の機能として下記の項目が挙げられる。

減摩作用:乾燥摩擦によるトラブルを防ぎ、流体摩擦状態を保って摩擦を低減させる作用。摩擦面での潤滑剤の膜の安定性は高粘度のものほど良好であるが、あまり高すぎると潤滑剤自身が摩擦熱で温度が上がってしまう。
冷却作用:高荷重・高速で回る歯車等では、摩擦熱による昇温が避けられない。その場合大量の潤滑油を循環させて局部的な温度上昇を抑える機能を持たせている。放熱性は潤滑油の粘度が低い方が良好で、固体状のグリースには冷却作用を期待できない。
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応力分散作用:歯車やベアリングの回転で潤滑剤が無いと、金属同士の接触面は点または線であり、接触面に大きな応力集中が起こる。金属の間に粘度の高い油膜があれば これがクッションの役割をして応力集中を緩和する。
密封作用:自動車のエンジンを考えると、金属部品であるシリンダーとピストンリングは直に接触していないが、潤滑剤であるエンジンオイルがエンジンの密閉性を受け持っている。
その他防錆作用(錆の予防)、防塵作用(グリースを使う場合)も期待される。

2009年05月29日

プラトン

プラトン(より正しくは「プラトーン」、古希: Πλάτων / 羅: Plato, -on 紀元前427年 - 紀元前347年)は古代ギリシアの哲学者である。ソクラテスの弟子でアリストテレスの師。

ディオゲネス・ラエルティオスによると、プラトンの本名はアリストクレスであるが信憑性は少ない。アカデメイアという名で学校を開いたため、プラトンの後継者はアカデメイア派と呼ばれる。プラトンとアリストテレスの思想は西洋の哲学の大きな源流となった。また、その理想とした社会像は共産主義におけるプロレタリアート独裁にも深い影響を与えたとされる。

『ソクラテスの弁明』や『国家』等の著作で知られる。現存する著作はそのほとんどが対話篇という方式を採っており、一部の例外を除けば師のソクラテスを主要な語り手とする。

初期のプラトンは『敬虔』や『勇気』といった古代ギリシアの伝統的な徳とは何か、それは教えられるものかどうかを探求したが著書の中では直接答えは与えられない。中期には世界を、目に見える現実の世界『現実界』と、そのもとになる完全にして真実の世界『イデア界』に分けるイデア論を展開した。
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輪廻転生説を含むピュタゴラス学派の思想、特に幾何学を重んじる思想を学び、中期以降その影響が見られる。またパルメニデスなどのエレア派にも関心をよせ、後期対話編ではエレア派の人物をしばしば登場させている。

プラトンは初めて理論的に人間の心を考えようとした人物であり、魂の三区分説を以って人間の心の動きを説明しようとした。人間を霊魂(心)と身体(肉体)に分けて考えている。

なお、後述するようにレスリングが得意であったらしい。また、パンクラチオンを「不完全なレスリングと不完全なボクシングがひとつとなった競技である」と評した事でも有名。

2009年04月25日

ティムール朝

ティムール朝(ペルシア語 : (Tīmūriyān), ウズベク語 : Temuriylar)は、中央アジアのトランスオクシアナ(現在のウズベキスタン中央部)に勃興したモンゴル帝国の継承政権のひとつで、中央アジアからイランにかけての地域を支配したイスラム王朝(1370年 - 1507年)。その最盛期には、版図は北東は東トルキスタン、南東はガンジス川、北東はヴォルガ川、南西はシリア・アナトリア方面にまで及び、かつてのモンゴル帝国の西南部地域を制覇したために、しばしばティムール帝国と呼ばれる。

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王朝の始祖ティムールは、チャガタイ・ハン国に仕えるバルラス部族の出身で、言語的にテュルク化し、宗教的にイスラム化したモンゴル軍人(チャガタイ人)の一員であった。ティムール一代の征服により、上述の大版図を実現するが、その死後に息子たちによって帝国は分割されたため急速に分裂に向かって縮小し、15世紀後半にはサマルカンドとヘラートの2政権が残った。これらは最終的に16世紀初頭にウズベクのシャイバーン朝によって中央アジアの領土を奪われるが、ティムール朝の王族のひとりバーブルはアフガニスタンのカーブルを経てインドに入り、19世紀まで続くムガル帝国を打ち立てた。
14世紀初頭にモンゴル王族カイドゥの王国を乗っ取る形で中央アジアの東西トルキスタンに勢力を拡大したチャガタイ・ハン国は、1430年頃には早くも分裂に向かい、東トルキスタンの東チャガタイ・ハン国とトランスオクシアナの西チャガタイ・ハン国に分かれた。西チャガタイ・ハン国では多くの有力部族が地方に割拠したためにハンの権力は早々に喪失し、各地に分領を持つ有力な遊牧貴族による群雄割拠の態をなすが、この中で盗賊的な活動を行いながら小さいながらも自己の勢力を築きつつあったのが、チンギス・ハーンの出たボルジギン氏と同祖の家系を誇る名門バルラス部族の出身であるが、父の代までにすっかり零落していた没落貴族の息子ティムールであった。1360年、東チャガタイ・ハン国(モグーリスタン・ハン国)のトゥグルク・ティムールが西チャガタイ・ハン国に侵攻し、一時的にチャガタイ・ハン国の東西統一を成し遂げると、ティムールはこれに服属してバルラス部の旧領を回復する。

やがてトゥグルク・ティムールが本拠地の東トルキスタンに帰ると、ティムールは東チャガタイ・ハン国から離反し、西チャガタイ・ハン国の諸部族と同盟と離反を繰り返しながら勢力を広げ、1370年までにトランスオクシアナの覇権を確立した。彼はチンギス・ハーンの三男オゴデイの子孫という王子を西チャガタイ・ハン国のハンとして擁立し、自身はチンギス・ハーンの子孫の娘を娶って、「ハン家の婿婿(アミール・キュレゲン)」という立場においてマーワラーアンナフルに住むチャガタイ人の諸部族の統帥権を握った。一般に、この年をもってティムール朝の確立とする。

新王朝の確立後、ティムールは東トルキスタンに遠征してモグーリスタン・ハン国を服属させ、マーワラーアンナフルの西のホラズムを征服。さらにジョチ・ウルス(キプチャク・ハン国)から亡命してきたトクタミシュを支援してジョチ・ウルスを再統一させ、北西のキプチャク草原を友好国として中央アジアの支配を固めた。

続いて、1335年のフレグ王家断絶後、イルハン朝(イル・ハン国)が解体して諸勢力の割拠していたイラン方面の経略を開始し、1380年にはトランスオクシアナからアム川を越えてホラーサーンを征服、1388年までにイランの全域を服属させ、アルメニア、グルジアからアナトリア東部までを勢力下に置いた。1392年にはイランのファールス地方を支配するムザッファル朝を征服してイランの全土を完全に制圧し、さらにカフカスからキプチャク草原に入って、ホラズムの支配をめぐってティムールと対立したトクタミシュを討ち、ジョチ・ウルス(キプチャク・ハン国)の都サライを破壊した。

1398年には矛先を変えてインドにも侵攻し、デリー・スルタン朝の都デリーなどを占領した。1400年には再び西方に遠征してアゼルバイジャンからシリア、イラクを席巻してマムルーク朝を破り、1402年にはアンカラの戦いでオスマン帝国を破って一時的に滅亡させ、シリア、アナトリアの諸侯国にまで宗主権を及ぼしてサマルカンドに帰還した。

こうしてティムールは30年間でモンゴル帝国の西半分をほぼ統一することに成功した。しかし、改めて東方のモンゴル帝国の大ハーン直轄領(元)回復をこころざし、元に代わって中国を支配した明への遠征に向かう途上の1405年にティムールは病死した。


2009年04月09日

ゴシック・アンド・ロリータ

ゴシック・アンド・ロリータ (Gothic & Lolita) は、本来異なるゴシックとロリータの要素を強引に結びつけた日本独自のファッションスタイル[1][2]。またそのようなサブカルチャーを指して言う語[3]。通称はゴスロリであるが[4]これを用いだしたのは、2000年にゴシック・アンド・ロリータに特化したムック誌として創刊されゴシック&ロリータが一般に広がる契機となった『ゴシック&ロリータバイブル』の読者たちであるという[5]。他にゴス&ロリ[6]、ゴシックロリータとも呼ばれるが[7][4]、ゴシックロリータはゴシックやロリータ関連の服装を差す語としても用いられる[8]。また、ゴシック・アンド・ロリータには色々なこだわりや切り口があるため、一言で説明するのは難しい

ゴシック・アンド・ロリータは、ロココスタイルのような[10][11]中世の貴婦人を思わせる幻想的な装いを特徴としており[2]、ストリート・ファッションでありながらも西洋の伝統や文化を継承しようとする姿勢を持っている点が独特であるが[12]、一般には不気味なイメージで認識されており[2]、職場や学校へ着ていくことはできないと考えられている[13][14]。

また、一般的にはロリータ・ファッションの総称ととらえられているが[10][15][16]、本来はロリータ・ファッションというカテゴリーの中のジャンルの一つである[15][16]。また、ロリータをターゲットとしたブランドが大小問わず増えているのに対して、ゴシック・アンド・ロリータをメインターゲットとしたブランドはほとんどなく[17]、ゴシックとロリータが重なり合う部分にいるゴシック・アンド・ロリータの人口も減っているとも言われている[8]。

年齢層 [編集]
ゴシック・アンド・ロリータは20代、30代になると着られないと考える者が多いため愛好者は20代までの若い層が主であるが[13]、中には20代以上の社会人として働いていて、自身の所得で洋服を買える愛好者もおり、そういった愛好者は、しばしば所得のかなりの割合を洋服につぎ込み、膨大な洋服を所有するコレクターとなるという[16]。この「いつやめるか」という問題は愛好者の間では常に熱い話題となっているという[18]。またゴシック・アンド・ロリータと同年代の女性をターゲットとするギャルブランドやカジュアルブランドが売上げ増のために市場の変動に合わせた新しいトレンドを追い求めているのに比べ、ゴシック・アンド・ロリータ・ブランドは一箇所に留まり一つのテーマを表現している[3]。なお、年齢について大槻ケンヂは、「ゴシック・アンド・ロリータ」に含まれる「ロリータ」という言葉の持つ少女性が、もう少女でない者が着る時にコンプレックスを感じさせ、着る者に精神性を主張せざるを得なくなったと指摘している[19]。しかしゴシック・アンド・ロリータは、肌の露出が少なく体型を隠せることや、大きなリボンなどが目を引くことから着る人を選ばない、という指摘もある

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2009年03月25日

近江鉄道

近江鉄道株式会社(おうみてつどう)は、滋賀県東部で鉄道事業とバス事業を中核として営む鉄道会社である。

滋賀県下では最古の私鉄。地元では「ガチャコン電車」と呼ばれて親しまれ、現在では比較的若い世代を中心に「ガチャ」の愛称で呼ばれている。

戦後一貫して西武グループの会社であることから、電車は元西武401系電車など西武鉄道の中古車両を種車とする新造車両を主力とし、バスと一部の鉄道車両の塗色は西武鉄道系列の企業らしくライオンズカラーとなっている。

近畿地方の公共交通機関が多く加盟しているスルッとKANSAIには加盟していないため、近江鉄道の鉄道・バスの全区間でスルッとKANSAI対応カードやPiTaPaは利用できない。

本社社屋は元々小学校だった物(木造校舎)を使っている。

略称について [編集]
近江鉄道は1944年に近畿日本鉄道が発足する以前から、近鉄(当初:おうてつ。後:きんてつ)と呼ばれていたという。

今日では、近鉄というと一般的には近畿日本鉄道およびそのグループ会社を指すが、近畿日本鉄道は発足後しばらく、近江鉄道が存在したためか近鉄と呼ばず近日を略称としており、駅名では1970年まで社名を冠したものは「近鉄…」ではなく「近畿日本…」を公式名称としていた。

なお、現在でも地元の一部の(主に年配の)人は、近江鉄道を「おうてつ」または「きんてつ」と呼ぶことがある。

歴史 [編集]
1889年の東海道本線開業時に、後の近江鉄道本線にあたる湖東線を私鉄で建設する計画が立てられたが、長らく許可されず、東海道本線の彦根駅と関西鉄道の深川駅(現甲南駅)を結ぶ鉄道として出願された計画が免許され、1896年に設立された鉄道会社が近江鉄道である。彦根 - 愛知川間が1898年に開業し、1900年に彦根 - 貴生川(当初の計画から変更)間が開通した。

後に電化のため、電力会社の宇治川電気(関西電力の前身の一つ)の系列に入ったが、その後太平洋戦争中の電力統制政策に伴い宇治川電気は鉄道事業を手放し、1943年地元滋賀県出身の堤康次郎率いる箱根土地(後のコクド、現在のプリンスホテル)の経営傘下に入った。

1944年に八日市鉄道を合併して八日市線としたが、その一部である新八日市 - 御園間(御園線または飛行場線とも呼ばれた)は1948年に休止され、1964年に廃止された。

沿革 [編集]
1896年(明治29年)6月16日 近江鉄道株式会社設立。
1898年(明治31年)6月11日 彦根 - 愛知川間が開業。
1900年(明治33年)12月28日 彦根 - 貴生川間が開通。
1914年(大正3年)3月8日 多賀線が開業。
1926年(大正15年)10月1日 宇治川電気の系列となる。
1931年(昭和6年)3月15日 米原 - 彦根間が開業し本線が全通する。
1943年(昭和18年)5月10日 箱根土地の経営傘下となる。
1944年(昭和19年)3月1日 八日市鉄道株式会社を合併。八日市線となる。
1944年(昭和19年)12月 タクシー事業の開始。
1948年(昭和23年)8月1日 新八日市 - 御園間休止。1964年(昭和39年)に廃止。
1964年(昭和39年)11月 宅地分譲(八日市)不動産事業の開始。
1972年(昭和47年)9月 観光、開発、不動産事業を近江開発株式会社に営業譲渡。
1973年(昭和48年)6月 バス、貸切バス事業を近江バス株式会社に営業譲渡。
1975年(昭和50年)6月 ハイヤー部門を長浜近江タクシー株式会社他、6社に営業譲渡。
1983年(昭和58年)4月 近江観光株式会社を合併。
1986年(昭和61年)4月1日 八日市 - 貴生川間にレールバスLE-10形導入。
1986年(昭和61年)4月 近江バス株式会社を合併。
1988年(昭和63年)3月12日 貨物営業を全廃。
1996年(平成8年) レールバス廃止。
1998年(平成10年)6月13日 八日市線の快速で700系電車「あかね号」運転開始。
2002年(平成14年)3月23日 本線・多賀線で自転車を車内に持ち込めるサイクルトレイン運行開始。5月から通年運行に。

鉄道事業 [編集]
以下の3つの路線を営業している。電車はワンマン運転で、単行(1両)あるいは2両編成で運行している。かつては電力費節減を目的にレールバス(気動車)も使用していたが、節減効果が思った程大きくなく、通勤時の混雑やあまりの軽量で踏切が正常に作動しないなどの弊害の方が目立ったため、導入から10年で使用を断念した。

路線にカーブが多いので、接触する車体の四隅は切り取られている。

また、東海道新幹線の建設に際し、鈴鹿山脈の眺望が遮られるという名目で国鉄から補償金を取ったという話があるが、真相は異なる。詳しくは近江鉄道本線を参照のこと。

主要駅である近江八幡駅や八日市駅でも1日の乗車人員は2005年度でそれぞれ2312人、2023人[1]と3000人にも満たない。そのため赤字がでており、東近江市をはじめ沿線自治体が全額負担している。

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2009年03月09日

チェロ協奏曲 (シューマン)

ロベルト・シューマンのチェロ協奏曲イ短調作品129は1850年の作品。チェロ協奏曲自体少数である中、全楽章切れ目なく綴られるなど構成的にも異彩を放っており、ロマン派協奏曲の中では取り上げられることも多い。

なお作者の協奏曲作品は他にピアノ、遺作であるヴァイオリンの3つしかない。

この曲の初演データははっきりしていない。1854年に楽譜が出版されたものの、作曲家の生前には演奏されなかったようである。チェロとピアノによるバージョンが1860年6月9日にルートヴィヒ・エーベルト(チェロ)らによってライプツィヒにて行われている。なお、日本初演は1928年10月14日、近衛秀麿指揮、K・シャピロ独奏、新交響楽団によって行われた。

ショスタコーヴィチは1963年にこの曲を再オーケストレーションし、作品番号125を与えている。ボリス・ハイキン指揮、ムスティスラフ・ロストロポーヴィチ独奏、ソヴィエト国立交響楽団によって初演された。
久兵衛 弁慶国内 ユニット ノール とうもろこし レーズン おっくう ジャル パイダー デザート カメオ 四ツ溝柿 ドヤム ハマー ジグ ブルー フライス デリー トレイル 養老 チロリ パンテ スパイラル ティッカー イール シドニー ハナタ フィッ ノンド キーロガー シャワ バクー国内 プレーヤー ピエタ タリン 白い香 オリーブ ライプ カップル 眠り姫 ネブラ リンス 待ちぼうけ ワースト スマート フリーレ ドックス デッサン ズバー

独奏チェロ、フルート・オーボエ・クラリネット・ファゴット・ホルン・トランペット各2、ティンパニ、弦五部
「速すぎないように」。イ短調、ソナタ形式。器楽合奏の短い序奏(E-A-C)の後、チェロが主題(E-A-H-C-A-E-C)を歌う。楽章の題の通り「速すぎないように」演じられる。 タイを多く使い、リズムに凝っていながら流麗に展開している。またイ短調ながら嬰ニ音を多く使うなどマジャール音階の影響も盛り込まれている。

2009年02月21日

トゥラーンの国王(カガーン)

トクトミシュ

[第1部]
トゥラーンの国王(カガーン)。激烈な権力闘争の後に即位した。略奪が産業であるトゥラーンにあって、国民と臣下の忠誠と支持を得る為にパルスに侵攻する。パルスでのペシャワール攻城戦に敗戦し、イルテリシュに叛かれて殺される。
イルテリシュ
とまま 月の微笑 アテンポ アトゥドア トリビュ ブイWEB イアリン リスト タンザ マルチ ティック ガーナ デジャブ ぴっこ エミュー レーター マルク レンジャー チータ リーシム タカス イミング チャー オペレ トサミズ イチョウ ワラント ギアサン ミヤマ 一意専 ツァーリ テーマ ネメシア チャック プラグ フレンドリー キープトコ えいち リユース パラソル みるいろ ミル スキーヤー ダイウェブ フリータ カツラ ブラジル レジデント パテ シマル

[第1部]
トゥラーンでは親王(ジノン)と呼ばれる。ダリューンに斬り倒されたという先王の王弟の子。パルス軍からは「狂戦士」ともよばれる。ナルサスの計略に陥り、パルス軍に敗北して弱気になっていた国王トクトミシュを殺害し、一時的に王位を得る。その後、パルス軍に再度戦いを挑むが敗北し、単身彷徨っているところをグルガーンらに捕らえられる。
[第2部]
暗灰色の衣の魔道師達によって、蛇王ザッハークの眷属となった。ペシャワールを魔軍を率いて攻めるがクバードらによって撃退される。この戦いで魔将軍(ガウマータン)といわれるようになる。ペシャワール攻防戦のあと、ザッハークの呪いから解放される(目覚めた?)が、パルスへの憎悪で魔道師たちと連合する。

主な将軍など
カルルック

[第1部]
トゥラーンの有力な将軍。他国に使者として赴くなど、外交の事情に詳しく、トゥラーンにあって貴重な知略の将。槍の名手。ペシャワールの戦いでクバードが「ときには武勲を立ててでかい面をする為の犠牲となって」討ち取られる。
タルハーン

[第1部]
トゥラーン随一の猛将として知られる。35歳。筋骨たくましい巨漢で顔の下半分が赤黒い髭に覆われている。ペシャワール攻城戦におけるパルス軍との戦いに際し、国王トクトミシュを戦場から逃がす為に、ダリューンとの壮絶な一騎討ちを演じ、戦死する。
ボイラ

[第1部]
トゥラーンの将軍。勇将として知られる。キシュワードとの対決は一度は互角に渡り合い引き分けるが、再戦した時は敗れ戦死する。
ディザブロス

[第1部]
トゥラーンの将軍。ペシャワールの戦いでイスファーンに馬上から斬って落とされる。
バシュミル

[第1部]
トゥラーンの有力な将軍。
ブルハーン

[第2部]
トゥラーンの将軍であったジムサの弟。仮面兵団の兵士であったが、仮面兵団壊滅後もヒルメスに従い側近となる。ザンデに代わってヒルメスに仕える忠臣となる。ヒルメスはその忠誠心を高く買ってはいるものの、若年であり能力的にはまだまだ不足しているとして、これからの成長に期待している。
ドルグ

[第2部]
仮面兵団の一員で、中級指揮官の一人であったが、コートカプラ城で戦死。
クトルミシュ

[第2部]
仮面兵団の一員。初老の戦士。コートカプラ城の戦いでヒルメスとダリューンの一騎討ちを邪魔してしまい、ヒルメスによって討たれる。ヒルメスは思いがけず自らの行為に衝撃を受け、敵に背を見せて逃げ出すという予想外の行動に出る。
バラク

[第2部]
仮面兵団の一員であったが、仮面兵団壊滅後もヒルメスに従う。
アトゥカ

[第2部]
仮面兵団の一員であったが、仮面兵団壊滅後もヒルメスに従う。

バダフシャーン
カユーマルス
バダフシャーン公国最後の公王。パルスの王弟である大将軍アンドラゴラスに率いられたパルス軍によって首府ヘルマンドスが陥落した際に、塔から身を投げ自殺する。

絹の国(セリカ)
藍妃(ランフー)

[東方巡歴]
太上皇(先代の51代皇帝)の愛人。隠居した太上皇に見初められ、男児を産む。
銅虎将軍(ドウコ)

[東方巡歴]
絹の国の将軍で黒い軍装をした鴉軍を率いる。年齢は30代中ばで、顔は赤銅色に灼け、太い眉と雷光に満ちた両眼を持ち、左頬には白く刀痕が浮き出ている。甲冑の色と同じ見事な黒鬚を持つ。若かりしダリューンが戦わずして敗北を認めた相手。
星涼(シンリァン)

[東方巡歴]
絹の国の公主。美しい女性で黒真珠のような瞳を持ち、名工が彫り上げたような秀麗な鼻と口をしている。娘子軍と呼ばれる女性だけの部隊によって護衛されている。ダリューンに会ったとき、影武者と入れ替わって「花冠将軍」と名乗っていた。
江南的四虎(チャンナン・タ・スーフー)

ファルハール
ムルク

[東方巡歴]
パルス使節団の通訳兼案内役。抜け目のない性格。年齢不詳(本人曰く「永遠の18歳」)の人物で鞠のような体格だが、体がたるんでいるわけではない。ファルハール語、パルス語、絹の国(セリカ)語に加えて、トゥラーン語、チュルク語、シンドゥラ語、ミスル語に長ける。金や銀よりも真珠を好み、内陸の塩湖で真珠貝の養殖を行う事が夢で資金集めをしている。

主な国家
パルス
物語の主な舞台である王国。大陸公路(現実世界のシルクロードにあたる)の中心に位置する国家。王都エクバターナは陸上交通の要衝で、その人口は公称100万という。東西を結ぶ大陸公路や南方の港町ギランに代表される港湾都市からの物資が集まり繁栄を謳歌している。現在の王朝は英雄王カイ・ホスロー以来300年余の歴史を誇り、第1部開始時点で第18代国王アンドラゴラス三世の統治下にある。大陸公路の要衝かつ豊かな国であることから諸外国より侵略を受けることが多いが、それを跳ね除けてきた強兵の国でもある。また、アンドラゴラス三世によって隣接するバダフシャーン公国を併合しさらに強国となっている。現実世界のゾロアスター教に相当する宗教が広く信仰されている(ただし、実際のゾロアスター教のような善悪二元論的な教義は見られず、より穏健な多神教であると思われる)。モデルはササン朝ペルシアのパルティア・安息国がモデルと思われる。著者曰く名前の由来はパールサ(ペルシア王朝勃興の地)が訛らせたもの。パルス語は大陸公路での公用語としての役割も果たしており、他国の人間ともこれを用いることで、ほとんどの場合、意思の疎通は可能である(中期イラン諸語のひとつであるソグド語がモデルと思われる)。その為、パルス人は外国語を覚えようとしないという弊害もある。
ルシタニア
パルスより北西の王国。貧しい国で豊かな土地を求めて遠征を行った。最初は同じ宗教であるイアルダボード教を信じる国ながら教義の異なるマルヤム(穏健な東方教会派)を攻め落とし、その後パルスに侵攻した。ルシタニアでは強硬派の西方教会が主流であり、一神教イアルダボート教以外の宗教を一切認めようとしない。用水路(カレーズ)への無理解などからモデルはおそらくレコンキスタ頃のイベリア半島とキリスト教で、国名のモデルもポルトガルの古名であるルシタニアと思われる。遠征の失敗によって主だった指導者を失い現在では荒廃し無政府状態になっている。またパルス遠征は言うまでもなく十字軍がモチーフ。特に第4回十字軍が東ローマ帝国の首都コンスタンティノポリスを占領した事情に酷似している。例えば当時のパルスはアンドラゴラス三世が兄のオスロエス五世から王位を簒奪したのではないかとささやかれ、そのオスロエス五世の息子であるヒルメスが正当の王位を回復するためにルシタニアに協力を依頼するというものだが、史実でも当時の東ローマ帝国は皇帝アレクシオス三世が兄イサキオス二世から帝位を簒奪しており、イサキオス二世の息子であるアレクシオスが正当の帝位を回復するために十字軍に協力を依頼している。
シンドゥラ
パルスの南東に位置する王国で、カーヴェリー河がパルスとの国境となっている。北方でチュルク、東方ではモン族やシャン族と対峙している。王都はウライユール。夏の暑熱は厳しいが冬は過ごしやすい。虎や象が生息し、戦象部隊は周辺諸国からも脅威とされている。建国王はクロートゥンガ。歴史的に隣国パルスとは仲が悪く、建国後250年ほどしか経過していないにも関わらずパルスの暦年より1年多く暦を数えている程である(第1部開始時点でパルス暦320年、シンドゥラ暦321年)。ターバンを着用する者が多く見られる事から、国教のモデルはヒンドゥー教ではなくシク教と思われる。モデルはインド。国名はインドの古名「シンド」から。
マルヤム
パルスの北西に位置する王国。古い伝統を持つ国であり、ルシタニアと同じイアルダボート教だが、穏健派の東方教会派が多数派を占める。王都はイラクリオン。穏健な政治でパルスとも交易していたが、同じイアルダボード教の国であるが、強硬派の西方教会に属するルシタニアによって滅ぼされる。その後パルスを追われた大司教ボダンが一旦は政権を握るが、同じくパルスを追われたギスカールと覇権をめぐって争う。ギスカールが勝利し新王朝であるケファルニス朝をひらく。ルシタニアよりはマシであるらしいが、大して豊かな国ではない。モデルは東ローマ帝国と思われるが、実際の東ローマ帝国は西ヨーロッパがうらやむほどの栄華を残しており、作中のマルヤムほど貧しくは無い(史実の東ローマ帝国の富の原泉である絹が、この世界では東方の絹の国(セリカ)の特産になっているという事情によると思われる)。
ミスル
パルスの西方に位置する王国。王都はアクミーム。国土の大半が砂漠で夏は猛暑となる。ディジレ河の沿岸は肥沃な穀倉地帯であり、灌漑の為の水車が並ぶ。砂漠での戦いで勇名を馳せる駱駝部隊と戦車隊を持つ。南で国境を接するナバタイとの交易もおこなわれている。モデルはエジプト(ミスルとはアラビア語でエジプトのこと差す)で、作者自身によると「中世のエジプトがモデル」。現実世界のナイル川に相当するディジレ河がパルスとの国境を隔てている(この世界にはアラビア半島に当る部分が存在しない)。先年パルスに大軍をもって侵攻したが、エクバターナの城壁に拠って撃退されたらしい(ヴァフリーズの言より)。
チュルク
パルスの東方に位置する王国。北にトゥラーン、南にシンドゥラと国境を接する内陸の山岳国家。元々チュルク人はトゥラーン人と同じ民族であったと言われている。王都ヘラートは難攻不落の城塞都市として知られる。鳥葬の風習がある。文庫版八巻『仮面兵団』後書きによると「中央アジア山岳地帯の諸国家がモデル」であり、特定の国がモデルと言うわけではないが、国名及び民族名は中央アジアを中心に住むテュルク民族が語源と思われる。
トゥラーン
パルスの北東に位置する遊牧騎馬民族の王国。西にパルス、南にチュルクと国境を接する。王都はサマンガーン。ただし固定した建造物はなく、王宮は巨大な天幕である。パルスを上回る騎馬民族の国で、会議すらも馬上で行う。他国からは「草原の覇者」とも言われ、野戦ではパルス軍に匹敵するが、その分攻城戦は不得手。トゥラーン人は遊牧民の為、定住はせず天幕をもって草原を移動する。主要産業は他国からの略奪であり、自ら通貨を発行する事はなく、他国の貨幣をそのまま使用する。太陽神(ダヤン)を信仰している。モデルはモンゴル民族。
絹の国(セリカ)
パルスよりはるか東方にある文明国、大陸公路の東端に位置する大帝国。絹の国の皇統は約千年続く。帝都は西都永安府(シーツィーイーアンフ)。北と西の国境線には、外敵である遊牧民族の侵入を防ぐ為、「長城」と呼ばれる長大な石の防壁が築かれている。国土を二つの大河である、雷河(ライホー)と龍江(ロンチャン)が流れる。ダリューンが以前に使節団の護衛隊長として赴いたことがある。モデルは中国で、セリカも西洋における中国の呼び名のひとつである(ただし現実の「セリカ」は「西夏」が語源であり、絹とは関係無い。また中国が絹の産地として知られたのは古代であり、中世には西欧にも養蚕技術は伝播している)。雷河は黄河を、龍江は長江をモデルにしていると思われる。皇統が長きに渡って続いている事と太上皇帝(帝位の生前譲位)の制度は日本を彷彿とさせる。
ナバタイ
ミスルの南方に位置する黒人の国。政権が安定せず第2部の時点で東西の王国に分かれている。幾度かミスルへ侵攻したことがある。鉄鎖術はこの国出身の黒人奴隷(ザンジ)たちが、鎖につながれた身で残虐な主人に抵抗する為に修得したと言われる。ディジレ河の上流域にあることから、スーダン、エチオピアなどがモデルと思われる。
バダフシャーン
かつて存在した公国で、パルスによって併合された。現在は元首府ヘルマンドスにパルスの総督府がおかれている。国土の大半を砂漠が占める乾燥地帯で、点在するオアシスに多くの住民が居住する。ヘルマンドスはバダフシャーン地方最大のオアシスである「プラタナスの園」(バーゲ・チナール)の中心にある巨大な湖のほとりに作られた都市で、四方を城壁に囲まれている。主要産物は銀や紅玉(ラアル)などの鉱産物。
ファルハール
パルスより東方にある公国。大陸公路に点在する小さな都市国家の一つ。ファルハール人は東西の血が入り混じっている為、個人の容貌に差があり、親や兄妹でも似ていないとされる。大陸公路で最も美男美女が多い土地とされている。ファルハール人は20歳を過ぎるまでに母国語であるファルハール語に加えて、最低でもパルス語と絹の国(セリカ)語を習得しているとされる。翡翠と紅玉を産出する。モデルは楼蘭等の中国西域の都市国家。

用語解説
万騎長(マルズバーン)
武将に与えられるパルスの官職。第一部では実際に1万人の騎兵を率いる。第一次アトロパテネ会戦当時、ダリューン、クバード、シャプール、カーラーン、マヌーチュルフ、ハイル、クルプ、クシャエータ(以上8名はアトロパテネに参戦、ただしダリューンは開戦直前に解任)、キシュワード、バフマン(東方国境のペシャワール城砦に駐留)、ガルシャースフ、サーム(王都エクバターナの留守居役)の12人が任命されていた。万騎長の下には、千騎長、百騎長がいる。第2部では兵制改革によって名誉ある将軍の職になり、実際に1万の騎兵を率いるわけではない。
大将軍(エーラーン)
パルス軍の武将では最高位にあたる官職。パルス全軍で1人しかいない。第一次アトロパテネ会戦当時はヴァフリーズ。先王のオスロエス五世時代には、王弟であるアンドラゴラス三世であった。アルスラーン即位後は万騎長であったキシュワードが就任する。
ダルバンド(ダルヴァンド)内海
パルス、マルヤム、トゥラーンの間にある広大な湖。現実世界のカスピ海に相当する。潮の干満があり、塩分が含まれているので実際の海と変わらない。漁業、造塩業が盛んで、パルス=マルヤム間では貿易も盛んであったが、マルヤムがルシタニアに滅ぼされてからは中断されている。
デマヴァンド山
パルスにある山で、蛇王ザッハークが封印されていると言われる。パルスでは「魔の山」として恐れられているが、山麓には集落も存在する。英雄王カイ・ホスローが軍装をしたまま、宝剣ルクナバードとともに葬られていた。
不死隊(アタナトイ)
パルスの国王親衛隊で五千人の屈強な騎兵から構成される。大将軍の直属もしくは国王の直率と思われる。アルスラーンの新軍制下では廃止された。
獅子狩人(シールギール)
単身で獅子(シール)=ライオンを仕留めた戦士に対して贈られる称号。アルスラーンも第2部の狩猟祭(ハルナーク)においてこの称号を得た。なお、現実世界ではほぼ絶滅してしまっているが、かつては物語の舞台のモデルとなっているインドや西アジアにもライオンが生息していた。
芸香(ヘンルーダ)
オレンジに似たさわやかな香りのする香料。ザッハークの眷属を寄せつけず、またこれを塗った武器で傷をつけると致命傷になることもある。焚き火や松明に投じることで香りが一層広がる。
紅玉(ラアル)
紅い宝石。ルビーの事(一部「ルビー」とルビがふられている箇所あり)だが、旧バダフシャーン公国で産出されるものは恐らくスピネルと思われる(レッド・スピネルの別名「バラス・ルビー」は、実在の地名バダフシャーンに由来する、との説がある。現実世界においても、かつてはこの2種類の宝石は区別されていなかった)。
緑玉(エメラルド)
魔を祓う力を持つといわれる宝石。特にザッハークの眷属を寄せ付けない。
有翼猿鬼(アフラ・ヴィラーダ)
ザッハークの眷属。空を飛ぶ有翼の魔物。人肉、特に柔らかい子供を好んで喰らうという。血には毒がある。
鳥面人妖(ガブル・ネリーシャ)
ザッハークの眷属。空を飛ぶ有翼の魔物。人語を話し、変装して人間の中に紛れ込むこともある。人間の赤ん坊、特に胎児を好んで喰らう。嘴を切り落とされても再生する。
四眼犬(シェムル)
ザッハークの眷属。四つの眼を持つ犬で、黄色の眼一対と赤い眼一対もつ。
食屍鬼(グール)
ザッハークの眷属。人間の戯画のような姿で、好んで死者の肉を喰らう。もっぱら辺境の地に跋扈するという。
客将軍(アミーン)
ミスルに使えるクシャーフルに与えられたミスルの称号。かつてマルヤムからの亡命者に与えられた称号をもとにしたもの。
孔雀姫(ターヴース)
ミスルに後宮に納められる女に与えられる称号。
ガズ
パルスにおける長さの単位。1ガズは約1メートル。
ファルサング
パルスにおける距離の単位。1ファルサングは約5キロメートル。
金貨(デーナール)、銀貨(ドラフム)、銅貨(ミスカール)
それぞれの貨幣のパルス語での呼称。通貨単位は登場しないが、作中の記述では貨幣の枚数と価値がほぼ比例しているので、少なくともパルスなど主要国では公定の貨幣制度が存在している様子。パルス金貨1枚は銀貨20枚に相当する(第6巻の記述より)。なおアルフリードによれば、自由民が手にするのは普通は銀貨どまりで、金貨は「まともな人間の手にははいらないようになっている」との事。
王族(ワースプフラーン)、貴族(ワズルガーン)、騎士(アーザーターン)、自由民(アーザート)、奴隷(ゴラーム)
パルスにおける身分制度。アルスラーン即位後のパルスにおいては奴隷階級は廃止された。

2009年02月05日

大門 五郎(だいもん ごろう)

柔道の元・オリンピック金メダリスト。しかし柔道に限界を感じて山篭りをし、柔道技と組み合わせての我流格闘術と地面を叩いて揺らす技「地雷震」を習得する。
サクソニ ルンバー ソブー ミルク てやり ライフ レビス 待ちぼう マジシャン 青春 オーバ フェー スクリュー ディトム チグリ ファーレ レギュレ レゾナ クホス フェムド オタク サテュロス マキシ るもい ステッチ チヂミ ボート トップ ジャッ 大同情報 ジュラル ストロ カバオ ルビー ブロー キング イラマチオ 月夜の オブシデ ジップ ギモーブ マッチ 幸運快適 つる菜 ラナイ メコン リイシュー スラッシ ローテー だて

さらに国内の異種格闘技大会に出場して3位の結果を残し、同大会の1位の草薙京と2位の二階堂紅丸とチームを組んで『KOF』大会に出場した。

『'97』で恩師の頼みで一旦『KOF』から引退して柔道界へ戻ることを決意し、以後は後進の育成に励んでいたが、『2001』から紅丸に京が戻ってきたことを契機に参加を頼まれ、『KOF』への再戦を果たす。『XI』では2度目の欠場をしているが、2009年稼動予定の『XII』においてはキャラクターイラストが公開されており、再登場する。

人物
名前からも推測できる通り、5男である[1]。また一家の父でもあり、幼い息子の虎五郎(こごろう)を『KOF』引退から復帰後の出場時に連れてくるようになった。

『'94』からのチームメイトであり、生まれつき炎を出せる京や帯電性質のある紅丸と違い、特異な能力を持たない常人である(ただ、彼も手を地面に打ち込むだけで地面を揺らせるので、「常人」とは言いがたい)。そのためか、『2003』のエンディングで矢吹真吾が炎を出せるようになったことを主張すると、それを必死に否定するような発言も見られた。

『'96』の主人公チームのエンディングでは留年し続ける京を心配してか、早く卒業するように諭した。

同じ日の丸の鉢巻をトレードマークとしていることからジョー・ヒガシとは気が合うらしく、『'98』の特殊エンディングでユリ・サカザキに日の丸の鉢巻を巻かせようとしている。

寡黙で口数が少なく、勝利メッセージも同様。だが、京や紅丸とは違い、敗北したチームに対して思いやる心を持っている。また、温厚な性格の持ち主であり、努力家でもある。『KOF京』では、自分に何かできることがあれば協力するということを京に話している。

プロフィールにもある通り、『'94』時の好きな食べ物がチョコレートサンデー(『'95』以降はざるそばに変更)であったりと、意外な一面がある。また『KOF京』では自身が柔道を教えている大学の教員に一目惚れし、京と真吾にそのことに付いて相談したところ、よほどの朴念仁と思われていたのか、真吾に相手が人間なのかどうか疑われてしまった。京曰く「大門は柔道一筋30年の人生を歩んできたし、下手をすると女と喋るのも今回が初めてかもしれない」と話していた。その一目惚れした教員から、「大門が本気で戦っている時の脳波を調べたい」ということを言われた。モルモットとして利用されているのだが、その研究内容をオロチ八傑集が知ろうと襲撃してきたことに激怒し、『KOF』に参加させて欲しいと京に頼んでいる。

小説版では京や紅丸から「ゴローちゃん」[2]と呼ばれて親しまれている。『MAXIMUM IMPACT 2』でも京ストーリーで紅丸が大門を「ゴローちゃん」と呼んでいるが、これはストーリー担当である嬉野秋彦が小説版の作者であるためと思われる。

『CAPCOM VS. SNK』シリーズでは参戦していないが、京と紅丸の対戦時に背景に登場する。

ゲーム上の特徴
いわゆる「投げキャラ」に分類されるが、『KOF』シリーズではコマンド投げが仰け反り中の相手も投げられるため、投げを組み込んだ連続技も可能。リーチが長く、判定も強い通常技を持つため、それらを振り回しての牽制などが戦術として成り立つ。攻撃力は高く、有無を言わさず相手を捻じ伏せることもできる。「天地返し」は登場作品を通して有効間合いが広く、威力も高い高性能な投げ技である。なお、相手の体力を削る技を持たないことも特徴の1つである。

初登場となる『'94』では、動きがやや鈍重で機動力が低かったが、『'95』で「雲つかみ投げ」や「切り株返し」を習得したことで、空中の相手や地上戦にもわずかながら対応できるようになった。

『'96』以降で多数のコマンド投げを習得するようになってからは、打撃と投げの両方を駆使して戦うようになる。立ち強攻撃やふっとばし攻撃を始め、打撃攻撃は攻撃判定・威力ともに優れており、大門の強さを支える。相手の動きを通常技で潰しながら、ダッシュや無敵時間のある「超受け身」で接近し、「天地返し」や「地獄極楽落とし」を決めて大ダメージを奪うのが基本戦法。

打撃と投げを両立させたキャラクターであり、登場するごとに強さを増している。ゲームバランスが『KOF』シリーズ中で最も良いとされる『'98』でもかなりの強さを発揮している。さらに『2003』ではデュオロンと並んで(揃って「DDコンビ」と呼ばれる)ゲームバランスを壊すほどの強さを見せている。

技の解説

通常技
『'94』『'95』通常技リスト

操作 立ち(近距離) 立ち(遠距離) しゃがみ 垂直ジャンプ 前方ジャンプ 後方ジャンプ
弱パンチ 胃突き 胸突き 突き 脳天から竹割り
強パンチ 腹裏拳 両手突き 頭上払い 跳びひじ落とし
弱キック 顔蹴り 下段蹴り 足払い 跳びひざ蹴り
強キック 横すくい蹴り 顔蹴り 突き蹴り 跳び蹴り
攻撃避け 木枯らし
『'94』:スルーアタック
『'95』:カウンター攻撃 突き上げ
ふっ飛ばし攻撃 木倒打 『'94』:跳び蹴り
『'95』以降:葉磨打

通常投げ
十字絞め(じゅうじしめ)
相手の首を連続で絞める技。首を絞めているだけなのに、技中はなぜか相手の血が飛び散る。
横車(よこぐるま)
投げる方向を横にして相手を後ろにぶん投げる。「十字絞め」が発動する間合いより少し離れて強パンチボタンの投げを入力すると、この技が発動する。『'95』までの技。
送り足払い(おくりあしばらい)
強キックボタンの投げ技。相手の足を引っ掛けて倒す。『'95』ではパワーゲージがMAXの状態で、この技を決めると相手の体力を異常に減らすことがある。
つかみ叩きつけ(つかみたたきつけ)
『'96』にて追加された強パンチボタンの投げ技。相手を掴んで頭から叩き落す。「横車」が削除されたことで代わりにこの技が導入された。

特殊技
玉潰し(たまつぶし)
『'97』にて追加された特殊技。四股を踏んだようなモーションで相手を地面に叩き付ける。作品によっては大半の飛び道具をかき消す効果がある(巨大飛び道具の代表例である「覇王翔吼拳」をもかき消すことができる)。食らった相手はその場に強制ダウンする。
頭上払い(ずじょうはらい)
腕を頭上に払う。空中の相手に対して使えるが、地上の相手にも当たる。発生は速く、弱攻撃からつながり、ここから「切り株返し」などのコマンド投げにつなげることも可能。『'95』までは通常技のしゃがみ強パンチであり、『'97』にて特殊技として導入された。

必殺技
地雷震(じらいしん)
両手で地面を叩き、地震を起こして攻撃する技。攻撃範囲は地上全体と幅広いが、ジャンプされると簡単に回避されるのが欠点。また、しゃがんだ状態の相手にも無効(しゃがみガードしているか否か、しゃがんだ状態で技を出しているかどうかは関係無し)。ただし、『'95』からフェイント版(強で出すと使える)があるので、相手の心理を惑わすことも可能。反応が早いCPUには仕掛けることが難しい。
この技を使うと、震動によって背景の待ちキャラクターも倒れてしまうが、『'95』以降は京と紅丸だけはこの技をジャンプして回避するようになった。この「地雷震」を利用したバグがほとんどのシリーズにある。
超受け身(ちょううけみ)
受身を取りながら前進する無敵移動技。緊急回避移動との違いは、技中は投げられ判定が無いこと、相手の裏に回れないこと。弱強の違いは、距離の違いと技の持続時間の違いである。
天地返し(てんちがえし)
相手を背負い投げで投げた後、続けて真上に放り投げる投げ技。有効間合いの広さ、威力の高さが象徴的であり、大門の主力となる必殺技である。
超大外刈り(ちょうおおそとがり)
大外刈りで相手を豪快に一回転させて地面に叩き付ける投げ技。オロチ編では、打撃技でもないのに、投げ技で唯一ヒット数が表示される。
雲つかみ投げ(くもつかみなげ)
空中に素早く腕を伸ばす。空中にいた相手に触れると、そのまま掴んで後方の地面に叩き付ける。対空手段のみならず地上の相手も掴めるが、打撃技扱いであるためガードで防ぐことが可能。
切り株返し(きりかぶがえし)
相手の足元を掴んで持ち上げて、そのまま地面に叩き付ける投げ技。実際にはガードできる打撃扱いの技だが、強攻撃からの連続技に組み込める。作品によっては下半身が無敵状態になっている。『'96』以降はしゃがみ強キックなどでダウンさせた後の追加攻撃として利用できるようになった(その際にダウン回避されると「切り株返し」は空振りする)。
裏投げ(うらなげ)
移動投げ。通常ダッシュと同じ走りで相手に近づき、相手に近づいた瞬間に背後に回りこんで、そのままバックドロップのように投げる。ただし、つかむまでの動作が遅く、読まれると簡単に反応される。
根っこ返し(ねっこがえし)
相手の攻撃を受け止め、反対側に飛び込み一本背負いを決める当て身投げ。主に下段判定以外の地上の攻撃を受け止める。

超必殺技
地獄極楽落とし(じごくごくらくおとし)
「超大外刈り」から始まり(この時、やはり2ヒットの表示が出る)、ダウンさせた相手を5回連続で背負い投げを喰らわせて、最後に真上に放り投げる。投げ間合いなどの性能や技の内容から、一般に「天地返し」を強化したものと解釈される。『'95』までは相手を最後に放り投げて地面に叩き付けると爆発音が起こり、この時のポーズは勝利ポーズにもある。MAX版の場合、つかみ始めに間を置いてから投げが発動し、背負い投げの回数が倍ぐらいに増え、さらには真上に放り投げられた相手がそのまま地面に叩き付けられた直後に追撃の形で「地雷震」を決めてとどめを刺す。MAX版の威力は相当なもので、相手の耐久力によるが、体力の半分以上を奪う。大門の切り札。
嵐の山(あらしのやま)
この技名は以下の技連携の総称である。由来は「山嵐」と思われる。
根っこ抜き(ねっこぬき)
両手を掲げたポーズを取る。相手が有効間合いにいれば技が発動して掴みにかかるが、有効間合い外にいるとそのまま硬直する。「根っこ返し」でのものと同じ飛び込み一本背負いを決める。投げ間合いが凄まじく広いほか、『'98』以降は最初のポーズ中はスーパーアーマー状態なので対空にも使うことができる。また、『'98 UM』では当て身投げに変更された。
続・切り株返し(ぞく・きりかぶがえし)
飛び込み一本背負いで投げた相手に、さらに「切り株返し」を決める。
続・ぶっこ抜き裏投げ(ぞく・ぶっこぬきうらなげ)
ノーマル版「嵐の山」のフィニッシュ。「切り株返し」の要領でもう一度相手を掴み起こし、砂埃を立てつつ裏投げを決める。『'97』では、この技の代わりに通常の「切り株返し」を決めた方が威力は大きかった。
続・天地返し(ぞく・てんちがえし)
MAX版「嵐の山」のフィニッシュ。もう一度相手を掴み起こすと、「地獄極楽落とし」同様に連続背負い投げの後で真上に放り投げ、落ちてきた相手に「雲つかみ投げ」を決める。なお『2001』以降では技名が「続・ぶっこ抜き裏投げ」となっているが、実際にはこの通りの技である。
冥土落とし(めいどおとし)
『KOF2003』で追加された超必殺技。「根っこ返し」と同じモーションで相手の攻撃を受け、そのまま相手を地面に叩き付けるように投げる当て身技。中段・下段を問わず取ることができる他、交代攻撃に合わせると確定してしまうため、かなり強力。ただでさえ強い大門を『KOF2003』最強の一角に押し上げる要因となった。
風林火山(ふうりんかざん)
『KOF2002』のMAX2。「地雷震」で相手を怯ませた後に接近して「裏投げ」で投げ、倒れた相手に「地雷震」の要領で数回掌で攻撃、最後に雄叫びを上げながら四股を踏むような動作を取ると、爆発が起きて相手を吹き飛ばす。シリーズ中のあらゆる(超)必殺技の中でも屈指の攻撃力を誇り、最大で相手の体力の9割を奪う。
極大地獄極楽落とし(きょくだいじごくごくらくおとし)
『KOF2003』のリーダー超必殺技。従来のMAX版「地獄極楽落とし」と同じく相手を何回も地面に叩き付け、投げ飛ばした後で空中の相手を「雲つかみ投げ」でフィニッシュ。

2009年01月21日

クロアチア語

初の完成された翻訳はイエズス会 Kasićによる稿であった。しかしこの翻訳原稿は1622年から1637年にかけて行われたものであったが2000年になるまで出版されることはなかった。出版物として最初のクロアチア語訳聖書とされるものはフランシスコ会 Matija Petar Katančićによって1831年に発表されたものとなる。その後、いくつかの翻訳本が出され、もっとも広く受け入れられるようになったものが1968年に出されたいわゆる現代クロアチア語訳である。これは「ザグレブ聖書」(英語:Zagreb Bible)と呼ばれ、「エルサレム聖書」を部分的に下地として作られたものである。

外部リンク

Hrvatska Biblija on-line: Bible in Croatian-full text - translation: "Zagreb"
Hrvatska Biblija - web download: Bible in Croatian-full text - translation: Dr Ivan Saric 1942.

チェコ語
1360年、ラテン語のウルガータを元にチェコ語への聖書全体の翻訳が初めて行われ、「ドレスデン聖書」と呼ばれた。この翻訳の写本は第一次世界大戦の間に失われてしまったが、これに続く他の多くのチェコ語訳は、このドレスデン聖書を踏襲して行われることとなった。なお、言語学的な観点から、それらは異なる編集で分類されている。最新の翻訳が出版された。

1487年に、最初のチェコ語の新約聖書「Dlabačの新約聖書」が出版された。彼は最初に1488年年から完全な聖書「プラハの聖書」を印刷した。1501年以前に印刷されたもう1つのチェコ語聖書は、「Kutná Hora聖書」であり、1489年に印刷された。

これら全てのチェコ語訳聖書はウルガータから翻訳された。

原典からの最初のチェコ語 への翻訳はクラリッス聖書である。翻訳は同胞和合によって行われ、1579年、に出版された。1613年、からの第3版は古典として見なされており、最も使用されているチェコ語訳聖書である。

オランダ語
ヘブライ語およびギリシア語の資料から直接オランダ語へ翻訳された最初のものは国訳聖書(Statenvertaling)である。1618年から1619年のドルトレヒト会議においてオランダ議会から命ぜられ、1637年に初版が発行された。すぐにこれはオランダの改革派教会に総じて受け入れられた翻訳となり、20世紀に至るまでその地位は続いた。1951年のオランダ聖書協会(NBG)の翻訳によってかなりの程度取って代わられたものの、この翻訳においても依然として古風な言語が用いられている。

現代語訳としては Groot Nieuws Bijbel、国際聖書協会の Het Boek、ローマ・カトリックのWillibrordvertalingなどがある。2004年に、共同訳としてNBV(Nieuwe Bijbelvertaling)が出て聖職者と一般家庭用を目指したものの、不正確な訳であると批判されている。

同時期には、たとえば2004年のNaarden translationや、1991年から続いているAlbert Kosterの旧約聖書や、Societas Hebraica Amstelodamensisのモーセ五書の翻訳など、文学的な個人訳が多く出版されている。

外部リンク

Statenvertaling: 黙示録を含む。1977年版。

英語
英訳聖書の歴史を参照

エスペラント
エスペラントの創始者であるルドヴィコ・ザメンホフ(1859年 - 1917年)自身が旧約聖書全文のエスペラント訳を行っている。この翻訳を他の様々な言語の主要翻訳と細かく比較しているのがダグラス・B.グレガーD. B. GregorによるLa Esperanta traduko de la Malnova Testamentoという研究論文である。その後、英国の牧師や学者からなる委員会が結成され、新約聖書翻訳とザメンホフの旧約聖書のレビューを行い、イギリス聖書協会(British and Foreign Bible Society)から出版されることになる。新約聖書は1910年に、聖書全体は1926年に出版されて、これはエスペラント語で"Londona Biblio"(ロンドン聖書)と呼ばれている。"Londona Biblio"の最近の出版は2003年であり、Bervelingが訳したカトリック教会の第二正典(en:Deuterocanonical Books)も含まれている。(これについては次段も参照されたい。)

聖書学と東洋学専攻のエスペラント組織、Internacia Asocio de Bibliistoj kaj Orientalistojが1960年代に新しい共同訳エスペラント聖書のための組織を作ろうとしたのだが、Gerrit Bervelingが訳した民数記が出版されたことで中止された。Berveling博士はオランダ自由教会の神学者・古典言語学者であり、新約聖書の大部分を新たに翻訳した。英語の改訳聖書(Revised Version,1881)と似た傾向を持つB&FBS 版の構文的な過剰文学表現を避けた訳である。彼の福音書は1992年にLa bona mesaĝo de Jesuo: laŭ X [X = Mateo, Marko, Luko, Johano]として出版され、2004年には新約聖書の最初の巻がLeteroj de Paŭlo kaj lia skoloと題されて出た。またローマ・カトリックの聖典の中に含まれている第二正典 (La duakanonaj libroj)を3巻本として出版し、第1巻と2巻はLondona Biblioの最新版に組み込まれている。

聖書の各巻や短い部分についての翻訳はこの他にも存在する。

エスペラントによる聖書の一覧 Brita kaj Alilanda Biblia Societo
Genezo 1:1-3 En la komenco kreis Dio la ĉielon kaj la teron. Kaj la tero estis senforma kaj dezerta, kaj mallumo estis super la abismo; kaj la spirito de Dio ŝvebis super la akvo. Kaj Dio diris: Estu lumo; kaj fariĝis lumo.
Johano 3:16 Ĉar Dio tiel amis la mondon, ke Li donis Sian solenaskitan Filon, por ke ĉiu, kiu fidas al li, ne pereu, sed havu eternan vivon.

外部リンク

Online text of La Sankta Biblio ("Londona" text)

フィンランド語
初めて完成された新約聖書の翻訳はミカエル・アグリコラ(1510年 - 1557年)による 「フィンランド語新約聖書」Se Wsi Testamenti Somexiであり、ギリシャ語原典に基づいて1548年に翻訳された。今日、アグリコラはフィンランドの文章語の父とされている。

聖書全体の最初の翻訳は「旧教会聖書」Vanha kirkkoraamattuと呼ばれているが正式にはBiblia, Se on: Coco Pyhä Ramattu Suomexiという。これはエリック・ロトヴィウスErik Rothovius司教率いる委員会によって1638年から1641年に訳され、1642年に出版された。1683年から1685年、に改訂されている(Florinus)。

その数世紀間にフィンランド語は書き言葉としても話し言葉としても発展し、平信徒にあっても読み書きは普通のものとなり、新しい版が必要となってきた。Biiblia もしくは「1776年聖書」Vuoden 1776 raamattuと呼ばれる聖書は1776年に出版された。聖職者だけでなく国民一般向けの最初の翻訳であり、現代フィンランド語で最初に書かれた翻訳である。1859年に改訂されているが「1776年聖書」は再生派 en:revival (en:Laestadianismや"Beseechers")とフィンランド福音ルター教会en:Evangelical Lutheran Church of Finlandで今日も使われている。新しい翻訳と異なりこの版はテクストゥス・レセプトゥスに基づいており、簡単に言ってしまえば欽定訳聖書と同じ位置を占めているのである。

20世紀初頭になって再び新しい翻訳が要求されるようになり翻訳委員会が1911年に設立された。準備が整ったのが1933年であり、1938年に聖書全体が出版された。この翻訳はしばしば「1938年教会聖書」Vuoden 1938 kirkkoraamattuと呼ばれている。フィンランド・ルター教会 によって訳され、ルター派で用いられている。「原語とフィンランド語で単語を1対1対応させる」という翻訳原則のために文章は大変に古風であり、時代遅れの方言も使っている。この1938年版は旧約聖書と第2聖典と新約聖書を含んでいる。
バポス ランパン スモーク ワード ねじめ ブルー ケチャ ゴム編み じゃっこ リッチ マリンスノ ラーマー パブコメ フェテ タリア 森の小人 ザイール パパ シエナ ユニット アセビ ムスク フォルタ メンテ ミサンガ ディス ジーンズ ニュート ブラッシ ブロック タイチュー ブルネット フラワー チュート ダブル クーチュ エアリアル スワジ 地平線 セミオート パテント 黒いカバン リンパ バトン 人魚姫 ハンドガン ラスプーチ スイン クラウト ターテー

もっとも新しい公式なフィンランド語翻訳は1992年の「新教会聖書」Uusi kirkkoraamattuと呼ばれるものである。フィンランド初の共同訳であり、翻訳委員会にはフィンランド・ルター教会からだけではなく、研究者やフィンランド正教会、フィンランド・カトリック教会が参加し、すべてのキリスト教共同体で用いられることを目指した。この1992年版の翻訳原則は文脈を重視した翻訳である。逐語訳ではなく、文脈を可能な限り正確に翻訳しようとするものである。初版は旧約と新約の両聖書が含まれているだけだったが、2004年になって第2聖典も出た。

フィンランド語訳のなかでも公認されていないうちで最も重要なものはエホバの証人が用いている新世界訳聖書(フィンランド語:Uuden Maailman käännös)である。この翻訳の原則は1938年の版から変わらず、可能な限りの逐語訳である。ただし、新世界訳聖書はオリジナルのアラム語やギリシャ語ではなく英語からの重訳であり、不正確な部分がある。キリストの神格に関する見解のようにキリスト教の根本教義を拒否することによって生じている自己流解釈からいくつもの間違いを新世界訳は含んでおり、専門家達からは異端と見なされていることは注意すべきである。

Johanneksen evankeliumi 3:16 フィンランド語訳 Johannes 3:16
1776 Sillä niin on Jumala maailmaa rakastanut, että hän antoi ainoan Poikansa, että jokainen, joka uskoo hänen päällensä, ei pidä hukkuman, mutta ijankaikkisen elämän saaman.
1938 Sillä niin on Jumala maailmaa rakastanut, että hän antoi ainokaisen Poikansa, ettei yksikään, joka häneen uskoo, hukkuisi, vaan hänellä olisi iankaikkinen elämä.
1992 Jumala on rakastanut maailmaa niin paljon, että antoi ainoan Poikansa, jottei yksikään, joka häneen uskoo, joutuisi kadotukseen, vaan saisi iankaikkisen elämän.

フランス語
1530年、ネーデルラントのアントウェルペンにおいてジャック・ルフェーヴル・デタープル(1450年? - 1536年)が行ったものが印刷物として最初のフランス語訳聖書とされている。これはその後、大幅に手が加えられて1535年、ピエール・ロベール・オリヴェタンによって改訂、向上された。1550年にルーヴェンで出版されたこの聖書は更にフランス語訳のカトリック聖書における最初の基盤となった。Nicholas de Leuzeとフランソワ de Larben.の仕事である。最終的に、アントワーヌ・ Lemaistre とその兄弟、ルイ・Isaac Lemaistreによって用意され、1695年に完了したポール・ロワイヤル修道院版は、カトリックとプロテスタントの双方の間で賛同を成し遂げた。ジャン・フレデリック・オスターヴァルド(1663年 - 1747年)の版(1724年)も同様に広範囲に渡る人気を享受している。

多くのフランス語圏のプロテスタントの人々は現在ルイ・スゴン版(1810年 - 1885年)を使用している。それは1880年に完成し、1975年と1978年に大きく改訂された。改訂版ルイ・スゴンはアメリカ聖書協会によって出版された。.

2000年、これ以外の現代フランス語訳聖書として「La Bible du Semeur」が完成した。これは、ルイ・スゴン以上に直訳ではない、思想を伝えようとする意訳で現代の言葉遣いが使用されている。これは国際聖書協会から出版されている。

カトリックの人々のあいだでは、最も注目すべき現代フランス語の翻訳は「エルサレム聖書」"La Bible de Jérusalem"である。これは英語で「エルサレム聖書」として利用可能である。これはフランス語で最初に1954年に登場し、1973年に改訂された。その豊富でありながら簡素な脚注と器具はプロテスタントとカトリック双方の読者の尊敬を勝ち得ている。この翻訳はフランス語と並んで多くの言語の翻訳の基本として供給されている。

フランスにおけるユダヤ人の為の主なヘブライ語聖書は "La Bible du rabbinat français"である。これは1906年に完成され、1966年に改訂された。

また、エホバの証人により、1974年に『新世界訳聖書』が出版され、1995年に改訂された。

フランス語訳聖書に関する更に多くの情報はフランス語版ウィキペディアで利用可能である。

外部リンク

南アフリカ聖書協会
Translator Notes
French Translation Information
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